真実かどうか~東北を歩いて~
日和山公園にて撮影
今回のスケジュール
8月26日から27日の1泊2日で宮城県と岩手県に行きました。
1日目は仙台から出発し、塩釜、南蒲生、荒浜、南浜町、日和山、TEDICを訪れ、LONG BEACH HOUSEにて宿泊しました。
2日目は朝早くから石巻を出発し、途中南三陸さんさん商店街で休憩をとり、気仙沼を一周し、陸前高田を訪ね、広田半島を半周して、仙台に帰りました。
震災から6年と半年
私が東北に初めて足を運んだのは2014年の5月18日。ネパリ・バザーロさんの第2回陸前高田植樹ツアーに参加した時でした。「なんで今、東北に来たんだ。もっと早く来ればよかった」とそれまで東北に関心が向いていなかったことを悔やみました。それから今までの3年間定期的に東北を訪ねました。初めて東北に来たときの衝撃を今回もまた実感することになりました。「人の暮らしは今どこにあるのだろう、そしてここにはどんな暮らしがあったんだろう」。
「震災から6年」と聞くと、私のイメージでは大体小学校ぐらいの時間が経過したのかなと考えてしまいます。しかし東北に実際に来るとそのイメージは違うんだと気付かされます。景色はだんだんと新しくなったり、過去のものになったりしていますが、人の心はそんな景色と同じスピードでは変化しないんだと。"東北"って一括りにできないように、一人ひとりの気持ちをちゃんと想像しようとしなければいけないんだと思います。
犯人はだれか
今回話を聞いてひとつ心に残っていることがあります。
震災が起きてから数日後、ある店が放火される事件があったそうです。
物資を少しずつ住民に配布していた親切なお店だったようですが、そのお店が燃やされた時に、どこからか
「あそこのお店、中国人が燃やしたらしいよ」
という噂が広がったそうです。
後日放火の犯人が判明したそうですが、中国人ではなかったようです。
実は地震発生した直後、現地入りした自衛隊によって中国から来ていた人は優先的に帰国されたようで、放火された時にはもういませんでした。なので、よくよく考えれば「中国人はいないのに、なぜ放火したんが中国人だとなるんだ」と気付けるはずだと、この話をしてくれた人は話してくれました。
北朝鮮からミサイルが発射され、いつ有事になるかわからない今、この話の教訓が問われる時だと感じています。ミサイル発射のニュースが流れるたび、駅前や人の多いところでは反北朝鮮のプラカードが目立つようになりました。ミサイルを発射しているのは、国民ではなく国の権力者や軍部であるのに、なぜか北朝鮮全体への非難感情が広がっています。
それは真実なのか
日和山公園を歩いている時にたまたま、石碑に目が留まりました。
2枚目にあるように、この石碑は1960年にチリ地震津波が起きたことを忘れないようにと、翌年石巻ロータリークラブによって作られたようです。
放火の話を聞いたときに、この石碑のことを思い出しました。「行政も警察もいない、統制がなくなったときに一番必要なのは冷静さ。そして引っぱる人。」と彼は話してくれました。混乱下で、情報が交錯し、今まで使えてたものが使えない中、私たちは生き延びるためにはどうすればいいのか。経験をしていない私には想像しかできませんが、災害下では確実にパニックに陥るタイプだと感じています。非常時でない時でさえ、自分をコントロールできないのに、これからどうしていけばいいのか。"真実かどうか"というその冷静さを、非常時ではない今だからこそ見失わないで、北朝鮮のミサイルの問題やこれからの課題と向き合えないかと思っています。