生き方再確認

「いろんな生き方にふれてみたい。」その思いから始めました。

”理解を推める”とはどういうことか?

誰にどこまで何を伝えるか

 子どもの貧困対策のこれからを考える時に、ひとつの大きな軸で挙げられるのが「理解を推める」ことだと思います。この10年間で確かに理解の輪は広がりました。メディアで「子どもの貧困」が社会問題として取り上げられ、政治の世界で争点のひとつとして欠かされず議論されるようになりました。また全国で子どもの支援の動きが広まり、プレイヤーが増えたと思います。少しずつではあると思いますが、子どもがSOSを発しやすい環境は作られてきたのではないでしょうか。

 一方で、生活保護バッシング、貧困たたきは未だに見受けられます。「自分のほうがしんどい生活をしてきた」、「税金で楽をしている」、「そんなの貧困じゃない」といった、貧困の定義の議論や、しんどさ・我慢の問題、努力の問題としてコメントが寄せられる傾向があると思います。生活保護や貧困についてのイメージや、言葉だけの世界で話が盛り上がり、当事者の気持ちが置いて行かれているような印象を受けます。

 今日もミーティングで、「貧困たたき」のことが話題にあがりました。上記のように、しんどい思いをしてきているという人に対してどう伝えればいいのか、そもそも関心を寄せてない層にもっと伝えるほうがいいのではないか、など。「理解を推める」とは一口にいえども、誰に何をどう、どこまで伝えるか、壁が高い問題で、それでも考え続けていかないといけないと改めて考えさせられました。